君は、問題を告げるだけの述べた君になっていないか?

問題を表面化させて意見を述べる、述べた君。

述べた君は政治の世界や、一般の会社にも沢山いると思うのだが、 わたしはアートの世界に述べた君は参加して欲しくないと思うのです。

いや、すべての述べた君は建設的なステップを計画、実行できるような改革派に進化して欲しい。述べた君は、問題を見つける事で自分の承認欲求を満たそうとする行為で、例えばそれが未発見だったウイルスの特性や、ゲノムや脳の役割なら素晴らしいと思うのですが、皆が感じているような、世の中の問題や不満を語るだけでは、その価値は大した事はないのです。

話をアートに戻します。 わたしは芸術的表現の根拠はもっと根源的なものであって欲しいと個人的に願っています。 いや、相手にされなかった述べた君が、理由を追求しているうちに世離れして根源な何かにたどり着いてしまうというか。

「世離れし、根源的な何かに行くつく」 つまりより個としてのテーマを表現するものであって欲しいと思うのです。

君がどうとか、スカートがどうやらとか、そんな事を語ったところで、 一時的な趣向品であって、誰かの力に変わったりはしない。

そんな事を考える午後の夕暮れでした。