赤道付近で愛を叫ぶ
インドネシアに到着して4日目、昨日から断食月が始まった。
ラマダーンってやつで太陽が出ている間は飲食が禁止されるほか、一ヶ月間は禁欲生活らしい。
街の様子はというと、ショッピングモールに人が少ない、飲食店がブラインドを下ろして営業している、などあるが外国人の自分にとってさほど不自由は感じない。夜遊びの店も閉じるらしいから夜遊び隊の人は悲しんでいるだろう。
私も密かに計画している「嫁探しプロジェクト」に影響が出ないか心配である。
素敵な嫁を探したい。
優しい嫁と常夏の国のさとうきび畑で果物を食べていたい。
オランウータンやコモドドラゴンのいる島を手を繋いで観光したい。
Aorを聴きながらサンセットを眺めて地球は今日も美しいと言っていたい。
そのような未来に向けて今日もひとり、赤道付近で愛を叫ぶのである。
ボッタクリにポイズン
いやはや悔しい。悔しきかな..
インドネシアに入国早々、タクシーにぼったくられたぜ。
スカルノハッタ国際空港でね、いつもはターミナル移動に無料のシャトルバスを使うんだけど、今回は時間がなくて急いでタクシーを使ったんだよね。5分くらいの移動に。
そしたら降りるときに、運転手がふっかけてくるから高いとゴネたけど、こっちは時間がないし仕方なく払ったよね。3000円。
真面目に安い運賃で頑張ってる人がたくさんいるから、こういう輩にお金を払うのが嫌なんだよね。
真面目な人にチップを多めに払いたいぜ。
命の見積もり
人間は無意識に自分の人生を見積もって、若いから希望があるやら、老い先短いやらで階級をつけたがるやな。
しかし結局は誰でも歳はとるし、人生の展開が変化する希望も薄れてくるよな。
若いから〇〇と言えなくなるってことや。
そして、結局自分って何やろ?って考えたりして気が滅入るよな。
しかしそんな時、自分の好きな人が近くに居たら幸運だと思う。
別に動物でも植物でもええけどな。
他の命と寄り添う事やな。
それを見つめる事で自分が何かわかってくるもんや。
好きな命と寄り添う事、それだけが自分の命を見積もって損しない方法やな
電車娘は待っている
ある日突然、話したことはなかったが顔を知っている女性に声をかけられた、そんな経験はないだろうか?
私はない
....
いや、ある。中学生の頃に…何度か
٩( 'ω' )و「何年前だよ、おっさんボケるな」
違うのだ、書こうと思ったことはそんな昔の話ではない。
あれだ…
人は日常的に見る顔に親近感を覚えると言うやつだ。
いつもの時間、いつもの車両で見るタイプの異性。
そんな人が居たらすでにラブストーリーは始まっている(かもしれない)。
気をつけなければいけないのは、欲求に負けていつでもどこにでも現れる人にはなってはいけない、と言うことだ。その先には迷惑防止条例が待っている。
君の物語の行く末はどうだろうか?
鞄には夢が詰まっている
(*'▽'*)「シダ類がまた浪費したらしいよ」
٩( 'ω' )و「えっ、今度は何買ったの?またiPadのカバー?」
(*'▽'*)「鞄だって、サムソナイト:Samso niteだって」
٩( 'ω' )و「鞄て、一ヶ月前に皮製が欲しくなって買ってなかったけっけ?」
(*'▽'*)「買ってた、使い勝手悪いとか言って押入れにしまってある」
٩( 'ω' )و「アホだ、しっかり用途を考えないからそうなるんだ。でも鞄よく買うよね、どうしてなんだろう」
はいはい、鞄買いました。
Samso nite any time2っていう少しビジネスぽいリュックです。
鞄はねー、買い替えるとなんかいろいろ上手く行く気がしてさ、ついついより良き物を期待して買ってしまうんだよね。
リュックを手に入れた小学生のようなものでさ、新しい鞄には、夢が詰まっているのだよ。
パソコンとか、はてなブログPROとかもさ、同じじゃない?なんか上手く行く気がしてさ..
そんな事はありません。
射幸心ですね、これは。
いや、でも持ち歩くものが整理されると頭の中も整理される気が..そうでもないか。
どうなんでしょ。
サムソナイトのかばん、今度はしっかり長く使う所存です。
無垢で危険な承認欲求
命は本来、欲求に対して真っ直ぐ伸びるものである。と、アパートの前に生え放題の雑草を見て思ったが、自分の髪の生え際を考えた瞬間、そうでもないかもしれないと疑念がよぎった。
幸い私は育毛教ではないので、生え際はどうでも良い。
しかし、問題はこの世界を支配し破壊する承認欲求なるものだ。誰が流行らせたのか最近よく耳にする。
大きな権力を誇示する者がこの欲求に狂ってしまうと、たちまち世の中のバランスが崩れ多数の屍が横たわる。
権力を持つものだけではない、ごく平凡な、私なような個人でさえ誰にも承認されなければ発狂しそうになり、救いを求めるであろう。
家に得体の知れない人形を飾り出すかも知れない。
これは、我々の住む世界のどこにでもあるリスクだ。一番身近と言っていいかもしれない。恐ろしい。
そして非常に見えずらい。空気を吸うことや食べる事と同じようなレベルで存在する欲求であるから気に留めないのである。
あいつ最近、二倍も空気吸ってない?など誰も言わない。酸欠気味になる人もいない。
では、狂うとはどう言う事なのだろうか?
「諸君、狂いたまえ」そう言ったのは松下村塾の指導者、後に明治維新の志士を多数送り出した吉田松陰である。彼の言葉の狂うとは、自分の志を持ちそれに対し必死に生きよと言う意味であり、欲求に狂うとは別の次元にある。
いや、別の次元ではなく真逆に位置するものかもしれない。
実際、承認欲求を目的とした狂に対抗できるものは、自分の志しを目指す狂だけなのだ。
自分の内面に対しても、社会に対してもそれは同じであると思う。
「窓ガラスを割って注目を集める」のに対して、窓ガラスを拭いて注目をされるようなものなのだ。
「他人から搾取した金で高級車を買って注目を集める」のに対して、歩き回って探した仕事を人に与え注目されるようなものなのだ。
後者は簡単ではないが、出来ないことではない。
我々は各々の志により承認されなければならないのである。
イヤホンの中の秘密の世界
「僕たちの失敗」 遠い昔、このようなタイトルの曲があったのをご存知だろうか。
私は年に数回、この曲を思い出し「弱虫だったんだよね」を心の中で呟く。
今日はその日である。
私の場合、何が弱虫だったのかは定かではないが、なんとなく過去に酔いしれる事が出来るのでこの曲は素晴らしいと思っている。
仕事中もイヤホンから、「僕たちの失敗」が流れている。
人の居る空間で、誰にも悟られず感傷に浸れるのが現代の文明なのだ。
考えてみるとイヤホンから流れている世界は自分に関わらず別世界だったりする。
厳しい上司のイヤホンから喜多郎が流れていたりすると、ほんとは調和を求めている人物像が浮かぶ。
一見真面目そうなメガネ君がデスメタルを聴いている事などは、この都会では珍しくない。
私が会いたい女性は言うまでもなくプレイリストの中に
「僕たちの失敗」が入っている人である。