近所のおばちゃんの思い出
その日私はいつものレストランでお粥を食べ考えにふけっていた。
日本にいた時、なんとなくプライベートで人と会う事を避けていた。
しかしインドネシアにいる今、言葉もろくに話せないのに新しい人によく会う。
なぜだろう?
お腹を壊しお粥ばかり食べているから性格が変わったのだろうか?
いや、お粥にそんな効能があるのなら世界はもっと優しい場所のはずだ。
平和賞はお粥賞にいずれ名前を変えるだろう。
ではなぜか?
私の脳裏にひとつの記憶が浮かんだ。
子供の頃、よくお菓子をくれた近所のおばちゃんだ。
そのおばちゃんはいつも笑顔で優しかったが、ずっと遊んでくれたわけではなかった。
しかし、いつでも家に来るのはウェルカムで自由に過ごさせてくれた。
それが子供の私にとっては優しい家族が増えたような感覚だったのだ。
これだな、この感覚が近いな。
何かをしたいとか、何かを一緒にするとか目的は置いといて、まあ来てみて、くつろいで的な感覚。
私は13年前、一応、目的があって上京したから、東京にいる時は何となく過ごす事が無駄な事だと思っていたなぁ。
でも、いまやはるか先、数千キロの場所にいるわけで言葉も土地もよく分からない子供みたいなものだ。
私には近所の優しいおばちゃんみたいな人が必要なんだな。