命の見積もり

 人間は無意識に自分の人生を見積もって、若いから希望があるやら、老い先短いやらで階級をつけたがるやな。

 

しかし結局は誰でも歳はとるし、人生の展開が変化する希望も薄れてくるよな。

若いから〇〇と言えなくなるってことや。

 

そして、結局自分って何やろ?って考えたりして気が滅入るよな。

 

しかしそんな時、自分の好きな人が近くに居たら幸運だと思う。

別に動物でも植物でもええけどな。

他の命と寄り添う事やな。

それを見つめる事で自分が何かわかってくるもんや。

 

好きな命と寄り添う事、それだけが自分の命を見積もって損しない方法やな

電車娘は待っている

  ある日突然、話したことはなかったが顔を知っている女性に声をかけられた、そんな経験はないだろうか?

 

私はない

....

 

いや、ある。中学生の頃に…何度か

 

٩( 'ω' )و「何年前だよ、おっさんボケるな」

 

違うのだ、書こうと思ったことはそんな昔の話ではない。

 

あれだ…

人は日常的に見る顔に親近感を覚えると言うやつだ。

 

いつもの時間、いつもの車両で見るタイプの異性。

そんな人が居たらすでにラブストーリーは始まっている(かもしれない)。

 

気をつけなければいけないのは、欲求に負けていつでもどこにでも現れる人にはなってはいけない、と言うことだ。その先には迷惑防止条例が待っている。

 

君の物語の行く末はどうだろうか?

鞄には夢が詰まっている

(*'▽'*)「シダ類がまた浪費したらしいよ」

٩( 'ω' )و「えっ、今度は何買ったの?またiPadのカバー?」

(*'▽'*)「鞄だって、サムソナイト:Samso niteだって」

٩( 'ω' )و「鞄て、一ヶ月前に皮製が欲しくなって買ってなかったけっけ?」

(*'▽'*)「買ってた、使い勝手悪いとか言って押入れにしまってある」

٩( 'ω' )و「アホだ、しっかり用途を考えないからそうなるんだ。でも鞄よく買うよね、どうしてなんだろう」

 

はいはい、鞄買いました。

Samso nite any time2っていう少しビジネスぽいリュックです。

鞄はねー、買い替えるとなんかいろいろ上手く行く気がしてさ、ついついより良き物を期待して買ってしまうんだよね。

 

リュックを手に入れた小学生のようなものでさ、新しい鞄には、夢が詰まっているのだよ。

 

パソコンとか、はてなブログPROとかもさ、同じじゃない?なんか上手く行く気がしてさ..

 

そんな事はありません。

射幸心ですね、これは。

 

いや、でも持ち歩くものが整理されると頭の中も整理される気が..そうでもないか。

 

どうなんでしょ。

 

サムソナイトのかばん、今度はしっかり長く使う所存です。

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無垢で危険な承認欲求

命は本来、欲求に対して真っ直ぐ伸びるものである。と、アパートの前に生え放題の雑草を見て思ったが、自分の髪の生え際を考えた瞬間、そうでもないかもしれないと疑念がよぎった。

 

幸い私は育毛教ではないので、生え際はどうでも良い。

 

しかし、問題はこの世界を支配し破壊する承認欲求なるものだ。誰が流行らせたのか最近よく耳にする。

大きな権力を誇示する者がこの欲求に狂ってしまうと、たちまち世の中のバランスが崩れ多数の屍が横たわる。

権力を持つものだけではない、ごく平凡な、私なような個人でさえ誰にも承認されなければ発狂しそうになり、救いを求めるであろう。

家に得体の知れない人形を飾り出すかも知れない。

 

これは、我々の住む世界のどこにでもあるリスクだ。一番身近と言っていいかもしれない。恐ろしい。

そして非常に見えずらい。空気を吸うことや食べる事と同じようなレベルで存在する欲求であるから気に留めないのである。

あいつ最近、二倍も空気吸ってない?など誰も言わない。酸欠気味になる人もいない。

 

では、狂うとはどう言う事なのだろうか?

「諸君、狂いたまえ」そう言ったのは松下村塾の指導者、後に明治維新の志士を多数送り出した吉田松陰である。彼の言葉の狂うとは、自分の志を持ちそれに対し必死に生きよと言う意味であり、欲求に狂うとは別の次元にある。

いや、別の次元ではなく真逆に位置するものかもしれない。

 

実際、承認欲求を目的とした狂に対抗できるものは、自分の志しを目指す狂だけなのだ。

自分の内面に対しても、社会に対してもそれは同じであると思う。

 

「窓ガラスを割って注目を集める」のに対して、窓ガラスを拭いて注目をされるようなものなのだ。

「他人から搾取した金で高級車を買って注目を集める」のに対して、歩き回って探した仕事を人に与え注目されるようなものなのだ。

 

後者は簡単ではないが、出来ないことではない。

我々は各々の志により承認されなければならないのである。

 

イヤホンの中の秘密の世界

「僕たちの失敗」 遠い昔、このようなタイトルの曲があったのをご存知だろうか。

私は年に数回、この曲を思い出し「弱虫だったんだよね」を心の中で呟く。

今日はその日である。

 

私の場合、何が弱虫だったのかは定かではないが、なんとなく過去に酔いしれる事が出来るのでこの曲は素晴らしいと思っている。

仕事中もイヤホンから、「僕たちの失敗」が流れている。

人の居る空間で、誰にも悟られず感傷に浸れるのが現代の文明なのだ。

 

考えてみるとイヤホンから流れている世界は自分に関わらず別世界だったりする。

厳しい上司のイヤホンから喜多郎が流れていたりすると、ほんとは調和を求めている人物像が浮かぶ。

一見真面目そうなメガネ君がデスメタルを聴いている事などは、この都会では珍しくない。

 

私が会いたい女性は言うまでもなくプレイリストの中に

「僕たちの失敗」が入っている人である。

可愛い子には旅を言った君を宇宙に送り出したい

「可愛い子には旅をさせろ」誰かがそう行ったせいで、僕はひとり南の島で生活する事になった。食べ物も言葉も違うこの国で、悪戦苦闘の日々は続く。

 

今ではそのような標語を作った誰かを冥王星に送り込んで、旅の感想を、はてなブログに書いて欲しいとさえ思っている。

 

そんな事を思いながらも、実際はいいこともある。よく視野が広がると言われるが、それは真実であり少し違う。

 

君が大いに語っていた桃源郷はただの廃れた温泉街だった。君が楽しんだとされる夜の街は退屈なだけの地方都市だった。

所詮、語れることはその程度のもので真実は別の様相を示す。

そのことに気づいてから、僕の心の温度は2℃下がり、僕は大人になった。

君は私の滑稽だ

私は悪人かもしれない。とふと思う事はないだろうか?

 

私は自分に問いかける。

一千万円入ったカバンを拾ったら?

きっと警察に届けるだろう。

 

しかし2kgの金の延べ棒を拾ったら?

わからない。

いや、きっとドキドキしながら家に持ち帰るに違いない。

物が違うだけで、なぜか隠し通す自信が生まれ、さっきまで良心だと思っていたものが、罪を負うことを警戒しただけの感情だと気づく。

 

罪を問われなければ自分のものにしてしまいたい。

あの子も世界も誰のものでもなければ、自分の物にしたい。

 

いや、待てよ。本来は自分さえも自分のものではないのかもしれない。

だったら世界は誰のものでもないのだ。ただ権利を主張する人の都合があるだけだ。ここは私の島だと言う人がいるように。

あぁ、権利とはなんて滑稽なのだろうか。

 

滑稽だがしかし、なければ我々は果てしなく奪い奪われ挙げ句の果てには、命さえあっさりと消してしまう。

なんて愚かなのだろう。

 

私は愚かにも私のものだと主張したい、そんな何かが欲しいのである。